クライストチャーチの地震
呉橋真人
9月4日(土)午前4時30分にM7.1の大地震がカンタベリー地方を襲いました。私は、その土日、インターネットでNZのニュース番組と新聞に釘付けでした。知り合いへメールや電話もしました。幸い知人でけが人や家が破損した方はありませんでしたが、みな、食器や本や壁の家族写真が散乱したと言っていました。阪神淡路大地震と1時間違いでしたが、カンタベリーでは1名も死者はなく、火事は1件もありませんでした。
阪神淡路の際にはNZからいくつも調査団が来ました。その一つは本協会の例会に出席されました。日本から既に、調査団が行き、なぜこれほど死者、けが人が少なかったのか報告があることを期待しています(まだその情報はありませんが)。インターネットで見るかぎり、政府、市、病院、消防、水道、すべて素早く的確に市民への指示を次々と行っていました。またCBD(クライストチャーチビジネスディストリクト中心街)は建物の安全検査が済むまで数日間に渡り閉鎖されました。リンカーン大学は職員の立ち入りが許されたのは5日後、学校は8日後に再開されました。インターネットがなければこれほど整然とした情報の伝達は困難だったことしょう。災害の際、インターネットをどう利用するかは大きな課題と感じました。
Dr.川瀬の母校リンカーン大学では1912年建設、彼もそこで卒業式に出たメモリアルホールが倒壊しました。英国からの船がバラースト(船底のおもり、船を安定させるため)として積んできたレンガで造った建物でした。このホールで10月20日の記念銘板の除幕式が行われる予定でした。延期も申し入れましたが、Vice Chancellor (英国式の学長)のフィールド教授からは、形式は違え同じ人々、同じセンティメント(どう訳したらいいのでしょう、あえてそのままにします)で予定通り行おうと暖かいメッセージをいただきました。すこし涙が出ました。
いくつか現地からのメールをご紹介します。
ちょうど今夜電気が復旧して、メールを受信し、暖かい湯を沸かすことができました(NZでは99%が電気、ガスはほとんど普及していない)。
地震は土曜日の朝4時30分に、皆就寝中が襲ってきました。
私のマンションの住民はみな4時40分にはマンションの外に集まり、不安にかられたおしゃべりをしていました。
マンションは無傷でしたが、電気と水道がストップしました。
となりの大教会は正面と側面の壁の大部分が崩落しました。そのレンガが道路に散乱しました。
中心街では約100軒の1910年〜1920年頃の古い建物が倒壊しました。ほとんどは耐震構造のないレンガを積んだだけの建物です。新しい耐震を行った建物はすべて無事でした。
今のところ死者は皆無です。
道路にはあちこち亀裂が走っています。鉄道レールは数か所で折れ曲がっています。バスも路面電車も鉄道も安全チェックが終わるまで運航されません。
ほとんどの家では棚や本棚から食物、食器、本が散乱しました。スーパーマーケットは大惨状です。郊外の古い家々では煙突が屋根から落ちました。
9月5日(日) ニュートン・ドッジ
カンタベリー博物館では本日から職員の立ち入りが許されました。博物館は驚いたことにほとんど無傷でした。しかし、展示品と収蔵庫は散乱しています。片づけと被害額確定には相当の時間がかかるでしょう。まだ余震が続いていてとても不安ですが、人的被害が最少で、死者は0だったのは幸運といえるでしょう。なんにしても貴重な経験だったと言えます。
9月13日(月)
カンタベリー博物館学芸員ナタリー・カデンヘッド