アディ・ギル号と第2昭南丸の衝突

1月6日に起こったこの事件について、ニュージーランドのマスコミは、比較的冷静だったと思えます。1月8日の反捕鯨団体シーシェパードの日本大使館前の署名募金活動の成果は500ドルでした。一般的には彼らの行動はNZでは、積極的な支持を受けてはいないと思います。

それに比べて、日本では私の周辺、あるいはブログ書込みを見るとたいへん興奮している方たちが多いのです。まさに、これがシーシェパードの狙いです。私たちに「反捕鯨」への過激な発言を引き出すための挑発を行っているのです。それによって、ほとんど100%が反捕鯨感情を抱くNZ人と私たち日本人を対立させようとしているのです。
捕鯨問題は解決不可能です。どちらが正しいという尺度がありません。1994年ウェリントンの海事博物館館長ケン・スカーデン氏(当時)が来日した際、彼のリクエストで和歌山県太地町のくじらの博物館の北館長にアポイントを取りました。昼食をはさんで1時間の予定で二人の対談が始まったのですが、反捕鯨をめぐり議論は3時間に及びました。最後にスカーデン氏が「北館長の主張はすべて納得できる。しかし反捕鯨はセンチメントの問題なので日本が勝利することは不可能だ」と発言ことは強く印象に残っています。
大多数のアジア諸国は犬を食べる習慣があります。「羊頭をかかげて狗肉を売る」の狗肉とは犬のことです。中国も古くから犬を食べていました。マオリ人の飼っていたマオリ犬も食用でした。ベトナムでは旧正月に犬肉が欠かせません。韓国はソウルオリンピックの時、犬肉屋を強制的に営業停止にしました。南極点一番乗りのアムンゼンが英国で評判が悪い理由の一つは彼らが橇(そり)を引く犬を他の犬と自分たちの食用として計画的に殺したからです。

犬を食べることを知るとNZ人はたいへんなショックを受けます。私たち日本人もショックを受けます。もしNZ人の反捕鯨感情を理解しようとすれば、ほとんどこれに近いものがあると思います。合理的に説得して賛同を得ることは不可能です。
19世紀のロンドンの街の灯りの燃料はクジラの脂であり、19世紀にNZへ最初にやってきた西洋人は捕鯨者たちだったことはNZ人も良く知っています。彼らはクジラを浜辺で煮て浮いた脂のみ取っていたのです。あなたたちも昔はクジラを殺したではないかと問うのも無意味です。禁煙に成功した人ほど喫煙者へは厳しい態度をとるのと同じです。

シーシェパード等、過激な団体の挑発に乗ってNZ政府やNZ人へ攻撃的な発言をするのは止めましょう。大多数のNZ人は反捕鯨ですが、反日本ではありません。
私は何人ものNZ人を日本でクジラ料理店へ案内しました。納豆も生卵も試してみようとするような、好奇心が強く、また異文化への許容範囲の広い方を選んでのことでした。彼らはクジラのあらゆる部分が違った調理法で料理されていることに驚き、クジラを食べる文化が日本にあることを十分に認めました。しかし一様に、自分がクジラを食べたことは絶対に秘密にしておいてほしいと強く希望しました。NZでは「私は捕鯨(クジラを食べること)に賛成だ。私は鯨を食べた。」などと言おうものなら、それこそ村八分になることを知りました。

どんなに捕鯨の根拠に納得してもNZ人は捕鯨に賛成することができないのです。
私の子供たちはクジラを食べたことはありません。現代の日本ではクジラは高価な珍味であり、おそらくあと20年も経てば、ほぼすべての日本人がクジラを食べたことのない世代になることでしょう。あるいは、世界的な人口増加によるたんぱく質の不足で犬食、クジラ食が世界的になる日が来るのかもしれません。 

 (呉橋真人)