日経 川端裕人エッセイ最終回 4月30日   この世に楽園や天国などない

 この世に楽園や天国などない。ニュージーランドの教育制度は、目を瞠(みは)るような点がたくさんあるといっても理想」というわけでもない。社会制度における唯一無二の「理想」などというものが、ぼくにはあるとは思えない。  さて、本連載を続ける中で、しばしば聞かれた問いは、「結局のところ、保護者に任せちゃって学力とか大丈夫なの?」ということだった。

2006年に行われたOECD(経済開発協力機構)の「生徒の学習到達度調査 (PISA)」によれば、科学的リテラシー関連の全体成績では、日本に次ぐ第7位。「科学的な疑問を認識すること」の領域では、フィンランドに次ぐ第2位(日本は第8位)、「現象を科学的に説明すること」の領域は日本よりも2つ低い第9位、「科学的証拠を用いること」の領域では第6位(日本は第2位)だった。また、読解力の領域では第5位(日本は第15位)、数学的リテラシーでは、日本に次ぐ第11位だった。初等教育では算数は日本の方がだんぜん上、と感じてきたけれど、必ずしもそうではないことが見てとれてびっくりさせられた。 いずれにしても、ニュージーランドの学校現場の「超ゆとり」状態を考えればなかなかの成績であり、日本と比べて「ほぼ同じ」くらいのグループに属しているといえそうだ。

 大切なことほど、現場に近いところで判断しよう。そういうメッセージをぼくは非常に前向きなものとして受け取っている。この場合、現場とは学校であり、と同時に保護者が日々子どもとかかわる家庭のことでもある。保護者は、二重の意味で「現場」に近い、唯一の「立場」なのだ。 なお、この件について、ビジネスマンである複数の友人から、「まさにその通り。現場に判断させてくれよ、○○さん」(○○さんは上司の名前らしい)との、反応を得たことも申し添えておく。

 大切なのは、なにごとも「100%を目指さないこと」。そして、「だめだったらだめで諦める」覚悟。そうすればやる人はやる。そして、損得抜きで公共の仕事を自ら引き受けることの気持ちよさに気づいたりもする。 よくある反論として、「ニュージーランドと日本では、文化が違う。同じことをやったら、学校に無関心な保護者ばかりになるかもしれない」というもの。 ニュージーランドでも、「何もしない人」は本当に何もしない。仕事や諸状況でできない人もいれば、単に無関心な人もいる。

 結局、公共の場のボランティアは(もちろんPTAを含む)、「やりたい人だけやればいい」どころか、「やりたい人しかやってはいけない」くらい強い信念で、自発性を重視する覚悟をすればいいだけの話だ。(抜粋しました。関心のある方は日経ビジネスon lineに無料登録してご覧ください)