日本ニュージーランド協会(関西)40周年特別企画

オーモンドソン・昭子さんを迎えて 講演「私の日本、私のNZ」全文

海軍軍人の家庭に生まれて

まず第一に私の生い立ちを簡単にお話しして、それから私のニュージーランドでの経験、私が現在日本に対して思っていることをお話しさせていただきます。私は昭和5年神奈川県の横須賀で生まれました。しかも、厳しい海軍の軍人の家庭でして、普通の女性でしたらお裁縫、お花、お料理といったものを練習させている家庭が多いと思うのですが、我が家は剣道、体操、水泳、という厳しい家庭に育ちました。そのうえ転々と転居をいたしまして、横須賀から呉、呉から佐世保、と動き回りまして、終戦を呉、広島からちょっと離れた呉で迎えたのです。皆さんもご存じのとおり、戦の1945年は大変苦労なさったと思いますけど、お若い方がいらっしゃるので、ご存じないかと思いますけども、このおかげで私ははるかニュージーランドに行っても我慢、我慢じゃなくて、生活が今日までできたと感謝いたしております。そしてその次にニュージーランドに対して思ったことは私が思うことのみならず皆様が思ってらっしゃる事も聞かせていただきたいのです。

ジャパニーズガールと呼ばれて

さて、素晴らしい日本を見て、ちょうど夕日が沈む時でした。緑がきれいな日本、私の懐かしい日本です。でも、驚くことにはあまりにも人が多いのにびっくりいたしました。静かな、静かなニュージーランドは横浜の市民があの小さなニュージーランドの国に広がって住んでいるというような感じなのです。もちろん、不便なこともたくさんございましたけれど、本当にニュージーランドの人たちは親切です。温かい人がそろっています。皆さん、この中でも、ほとんどニュージーランドにいらしたことがあるのではないでしょうか?手を挙げてください。そうですね、ほとんどの方がニュージーランドのことを良くご存じだと思います。この中で一人、羊が好きで、ニュージーランドの農業に行きたいという希望してらっしゃる夢を持ってらっしゃる青年の方もいらっしゃるんですけども、人間より羊のほうが多くて、その、人はどこにいるんでしょうと今日も呉橋さんとお話ししてきたんです。
 まず、第一に1953年9月にウエリントンに着きました。ウエリントンには空港もない時でした。はるばると神戸から船に乗って、一か月かかかってシドニー経由でウエリントンに着いたのは9月でした。すこし荷物があったのですけど、バスに乗ってちょっと田舎のほうに入りまして、タクシーを呼んでくださいと言いましたら、タクシーはありません。ということでした。驚くことがどんどん重なって、その頃は水道もない町でして、雨が降ると大きなタンクに雨水を全部貯めて、そのお水を使うというような生活をしている国だったのです。それもびっくり。そして、また、朝、小さい馬がコロコロとしたトレーラのようなものにカンカンに入った牛乳をいっぱい詰めて道を通ってくるのです。日本のお豆腐屋さんが来てくれるように、そこに行くとこういう風なカンカンに1パイント2パイントとミルクを計って売ってくれる。お水のようにミルクが安いこと。それにもびっくりしました。それから、道路の全然できていないこと。不便なことは一杯ありましたけど、近所の方々はものすごく親切で、いろいろなことを教えてくれる女性の優しさ、戦争がすんでわずか5,6年でしたから、日本のことは全然皆さん知らないという方が多いのです。戦争で父を亡くした夫を亡くしたという方が多くて、ジャパニーズガール帰れ、という声もございました。大変な高い、高い壁もございました。私が、私の名前は昭子(あきこ)ですと言ってもそういう風に言える人はいませんでした。私の名前はジャパニーズガールっていうことでずっと通してまいりました。

子供たちに日本のことを 学校訪問を始める

それでも私は大人を相手にしないで、もしかして子供を相手にしたら日本のことが分かるのではないかなと思いまして、学校訪問ということをさせていただきました。そうすると驚くなかれ、みんな1953年でも日本のことは日本にはフジヤマがあると、ペーパーハウスがあると、ゲイシャガールがいると、それと侍、そのくらいしか日本のことは全然教えていないお国だったのです。新聞には大きく、大きくThis is not made in Japan.ということで日本のものは良くないよ、買うなよ、という文章が出てくるのです。これはnot made in Japanというような広告を見てそれもまたびっくり。それで子供たちにですね、私英語はちょっとしかわかりませんでしたけども、非常にいいのは、普通の紙を利用して鶴を折りましよう、兜を折りましょうと、折り紙を始めました。そしてテルテル坊主を作ったり、子供たちに日本の子供の歌を教え始めました。我が家に呼んで、日本のお箸の使い方、など教え始めて、だんだんと日本のことが分かり始めたのです。ものすごく時間がかかったのですけども、だいたいジャパニーズガールはあそこに住んでいるということが分りだして、あちからもこちからも学校のほうから声がかかりまして、訪問することが多くなりました。

大阪万博を契機に日本語を教える

月日はたちまして、1964年に東京でオリンピックがあるためにテレビが各家庭に入ったのです。もちろん、白黒のテレビですけども、そのために日本を訪問するニュージーランドの人達が少しずつ出てきたのです。それに続いて1970年皆さんのご存じの通り大阪の万博がありました。そこでニュージーランドの政府から酪農団体、羊毛団体、それから300人くらい政府の方々を日本に送るということになりまして、日本語を教えてくれないかというような立場に変わり始めました。そこで、私一人ではとても300人にも教えられないから、ここにおります妹、八千代を呼びまして、1年かかって69年70年と日本語を教え始めました。でも、おはようございますと言っても明日になるとすっかり忘れるようなニュージーランドののんびりとした方で、おっとりした方で、全然勉強するよりもお遊びのほうが多かったばかりでしたが、とても楽しい1年間を過ごしました。皆さんが、エクスポに大阪にいらっしゃてから急に日本っていう国に対しての感じが変わりまして、もうその頃から日本のものもどんどん入ってきましたし、ニュージーランドの政府も考え方が変わってきまして、日本のものはもちろん食べるものは何もなかったのですけども、心温かく声をかけてくれる人も増えてきました。

日本大使館で働く

そこで、日本大使館のほうから声がかかりまして、広報文化の責任でも何でもいいから大使館に入らないか?という声がかかりまして、それでは学歴も何にもないのですけど、と言って、お手伝いを始めたのが、1969年でした。それからずーっと現在に至るでもないのですけど大使館のお手伝いをしてまいりました。そのおかげで、毎年毎年、いろいろなVIPの方が日本からおいでになり、ニュージーランドからも日本へどんどん行くようになりまして、日本・ニュージーランドというのが少しずつ理解し始めてくれたのです。でも、まだまだ今日でもRSA(退役軍人会)というグループがありまして、難しい点はたくさんございます。それは良いとして、日本からいらっしゃる偉い方、田中角栄さん、大平さん、総理大臣が毎年どんどんどんどんいらっしゃるのですけど、日本人がニュージーランドにはいなかったものですから、いつも引っ張り出されて、ご案内をしたり協力をいたしました。とくに楽しかったのは1973年の7月、真冬なのですけどニュージーランドの7月は、美智子さんと天皇、今の現在の天皇陛下が皇太子のときおいでになりました。それで、オークランド、北のオークランドへお迎えに行き、ニュージーランドに御着きになり、南の島をぐるりと一周したのですけど、びっくりするのは、別に皇室の方がいらしても、特別な部屋は作らない。みんな一緒に座ってダイニングルームでお食事をしました。そして、ニュージーランドを南の島にいらした方はご存じかもわかりませんが、ワカティプという下のところに大きな湖があるのですけど、道路が悪いので、しかも真冬、ニュージーランドの車が何台も出たのですけど、私たちの車はドロドロにはまってしまいました。車から降りてくださいということで私たち、美智子さまも降りて一生懸命後ろから押しましょうということになったのですけど、押しましたら、美智子さまから「御苦労さま大変ですねと」とやさしくお声もかけていただきました。普通の通りにお話ができたことはちょっと考えられないことなのですけど、未だに日本にいらしたらお遊びにいらしてくださいなんて言っていただいているのですけども、それはまた別の話。それから続いて、2、3年たってから雅子様方もいらっしゃいました。その時もご一緒しました。でもこういうことは全く日本ではできない経験です。

偉い人が偉ぶらない国

また、ニュージーランドというお国が偉い人、あまり偉くない人という区別が全然ないのです。私たちはもう大臣でもだれであろうともジョン、チャーリー、ボブソンと、ミスターも何にもつけずに呼ぶお国なのです。たとえば、国会議事堂、ウエリントンの国会議事堂の真ん前に普通のパブがある。パブってお分かりになりますか?パブリックバー、ビールを飲むところなのですけど、そのバーに行くとみんな国会議事堂から偉い議員さんたちがどんどん降りてくるんです。で、一般の人も入れるんです。そこで、ニュージーランドの政治について自由にお話ができるのです。この2,3日、私、日本のテレビを見ても、日本は大変なお国なんですけど、偉い方は偉い方で私達は傍にも寄れません。でもニュージーランドではハローっということですぐにお話ができるのです。皆さんの生き方それから考え方を自由に発言できるのです。でも私達、大使館の方から「昭子さん発言はだめですよ。」っていつでも怒られていました。(笑) もう、「黙れ、黙れ」でもう恐ろしい国なんです。それでニュージーランドは全く貴方も私も同じです。そういう点ではものすごく良い国だと私は思います。それから、いろいろなことがあったんですが、あまり悪口を言ったら悪いから。(笑)

質素が伝統 ニュージーランド

ニュージーランドの家庭は、ニュージーランドハズバンドとかなんとか言われているんですけども、ニュージーランドのお国の人のように質素な国、ものを大事にする、我慢が強い、ニュージーランド製はがっちりしています。それから、物をものすごく大事にするのです。それでいて貧しい貧乏人のような生活は決してしていません。どこのうちへ行ってもボートはあり、車も2,3台あり、ひどい所(すごい所の意)に行ったら馬を2,3匹飼っている人がいます。世界一周の旅行もします。しかし、家に入るとパンが一枚あって。日本のパンはヘタを食べる人もいない。それから、まずいものがあれば残す。もったいない。もう、ニュージーランドの人はまずい、あまりおいしくないものを平気で食べてますし、それから果物でもシーズンの時にちゃんと作って入れて冬の準備をするとかですね。お家には必ず畑があり、自分の家庭で野菜は作ると。スーパーへ行っても日本のスーパーのようにきれいにしてるのじゃなくてキャベツもそのまま、大きいまま、硬いところはジューサーに入れてジュースを作るとかとにかく無駄をしない国なのです、ニュージーランドは。でも、人口が少ないから、そしてその上に皆さんお金も使わないので絶対に世界の人たちと足並みをそろえてゆくことは無理だと思うのです。(笑) 私は10年、20年30年遅れているんじゃないかなと思うんですが、あの小泉さんが郵政省のことを変えられるときに言ってらっしゃいました、「ニュージーランドみたいに人口が少なくて質素な国なのにこういうことに関しては実に実力のある立派な国だ。昭子さん頑張れ。」と言ってくださったんですけども、そういうことはすごい国で、わけのわからない携帯電話とかコンピュータに入れる小さい部品を作ったり発明するのはいつもニュージーランドなんです。私はいつもすごい国だと思っています。日本の・・それは言わないほうがいい。(笑)

日本人のもったいないはどこへ?

あまり時間もないでしょうけど、何かニュージーランドのことで聞きたいことがあったらおっしゃってください。ただ、私が思うのにはニュージーランドは、きれいな国で森が、緑がきれいで空気が新鮮、夜になるとお星さまがバーっと、しかもウエリントンは風がひどいので、蚊、ハエはいません。ヘビもいない。本当に清潔な国なので、洗濯物も干したとたんに乾くといったところなのです。ものすごく、慣れれば住みやすい国だと思います。今現在は、日本は大切なお客様ですから、もう悲しい思いは皆さんなさらないと思います。それで少し日本のお話をさせていただきますけども、幸せなことに子供手当てとか何とかって皆さん幸せになるようですけども、少し行き方が違うんじゃないでしょうか?だいたい、日本の国は今どこに向かって行くかということを考えて、そこに住む人たちの幸せを皆さん考えすぎて、贅沢はたっぷり、おいしいものは捨てるほど、ファッションは世界で一番、「もったいない・もったいない」の私は言い通しです。で、私の兄弟が捨てるものを私はみんな持って帰るのですけど、本当にこんな幸せな国はないと思います。でも今若い人たちはあの戦争のつらさもわかりません。ものが無いことも知りません。おなかすいたということも感じません。街を歩いていても貧しいような姿をした人はいません。そうかといって若い人たちのマナーはゼロに近いようで、いったい教育省は何をしているのかと強く思いました。学校で何を習っているのでしょう。私達は礼儀から外国の歴史、もちろん英語、いろいろありました。宿題もありました。でも今子供たちは学校で勉強するのは何ですかと聞きたいほど、高い高いお金を出して、塾へ行き、睡眠は不足になる。もったいないと思います。そのために学校があるのにどうして皆さん学校で勉強なさらないのですか? そうして塾なんて言うものはもちろんニュージーランドにはありません。ただ、私は子供たちが、私の子供が一番初めに入学した時に、宿題もない、鉛筆を入れる筆箱もない。学校に私は申し込んで「明日の宿題は何ですか?明日の時間割は何ですか?」と聞きに行ったら、「昭子さん、そんなことは心配しないでいいですよ。そういうお母さんは初めてです。」と。「ここはニュージーランドの学校で、ニュージーランドの学校は朝9時から3時まで学校の責任です。」と。「3時から朝まではお母さん方の責任です」と。「教育をしてください」と。「勉強は学校でしますから、時間割もいらない。鉛筆も何にも要らない。学校にあります。」と。教科書もちゃんと並んでいるのです。こんな重たい袋を持って学校へ行きません。それで3時になってスポーツをやりたい人はもちろんします。皆さんご存じのとおり、ラグビーが好きですから。でも、皆さんはちょっと日本の皆さん、塾だー、お月謝だと大変オーバー。生活が大変じゃないかと思わされているのですけど、いかがでしょうか?そして、ご自分たちは贅沢して生活しているとは思わないでしょうけど、昨日も私はスーパーに行きました。モー物が溢れていて、モーお店の外にまで出ているじゃないですか。たくさん。これ余ったらどうするのかしら。おなかがすいて食べられない人もいるんじゃないかと、本当に悲しくなるほど。「幸せな皆さん」とうらやましいと思いましたけども、物がありすぎてぜいたくな生活をすると、そういうことを考える余裕もなくなるのではないですか?皆さんは。それで、皆さん世界一周旅行していらして「アー日本はいいな、いい国だ、本当にこんなに住みやすい国はない」とお思いになると思います。

美しい国、日本はどこへ向かっているの

でも、時々、新聞を読みますと、君が代で揉めたりして、またこれが本当に恥ずかしいことなのです。オリンピックで勝ったときにどうして堂々と日本の日の丸の旗を揚げられないのですか。それから、勝ったら君が代を歌いましょう。素晴らしいこの日本のお国に誇りを持っていただきたいのです。私はお相撲さんの時に君が代を皆さん合唱するときに起立をします。ほんとうにすばらしい国歌、それに国旗ですね。皆さんどうぞ大事にして世界中に広げてください。こういうお国は世界中行って国の旗、国の歌で揉めているお国など世界中どこに行ってもないと思うのです。どうぞそれは新しい総理に伝えて、皆さん、頑張って立派なお国をいつまでも続けてください。それは私がする前にお願いしたいことなのです。こんな素晴らしいお国はないのに、いったいこれから日本はどこに向かって行くのでしょう。お隣の中国も頑張ってます。日本の美しい国、私は日本に帰ってきて、私が育った日本の国はどこに行ってしまったのかなと悲しいことがたびたびです。懐かしい田舎に行って、小さい時に歌った唱歌、ああいう懐かしい日本はどこに行ったのでしょうか。もう、すっかり変わってその時代にあわせて変わってゆかないといけないのですけども、その日本の美しい文化、今日は着物を着てらっしゃる方もいらして嬉しいです。わざわざ日本に来てニュージーランドの文化人はですね、日本に来たら何を買うと思いますか?草鞋を買って帰ります。ニュージーランドに。それから笊のような籠を買って、ニュージーランドに持って帰ってきて日本のお百姓さんは昔こういうものを使ってましたと見せるのです。モンペを買って帰ってきます。向こうに行って、アーこれが日本の文化だったのだと私はホッとしてもう大喜びです。でも、ここにきてそういう方を見かけることはマアいらっしゃいません。悲しいのか喜んでいいのか時代とともにどんどん変わってゆかないといけないのですけど、日本の文化は一体どう・・何を・・基礎は何なのでしょう。どういう風に変わってゆくのでしょうか?世界の今のこの現在とともにコンピュータ、何々とどんどんと変わってゆくのは仕方がないのです。

変わりゆく日本語

例えば日本語の乱れたこと。ニュージーランドに私は日本語を教えているのですけど、学生のほうが立派な日本語を話します。ジェットプログラム(注:小中へ英語ネイティヴ教師を派遣する)で日本の政府のほうのお呼びでニュージーランドから何百人毎年来ているのですけども、その人達はここに来る前に「おはようございます」と丁寧に挨拶することを教えているのですけど、帰ってくるとですね、いろんな日本語を覚えて帰ってくるのです。(笑)もうびっくり。今はいたしかたない。コンピュータがありますから、カタカナひらがなそれじゃちょっと追いつけないいろいろと訳のわからないカタカナの言葉が増えているのですけども、どうぞ大事な日本の美しい言葉を忘れないでいついつまでも続けてください。日本の文化がどうなっているのかなと思われることはしばしばです。時々ホームステイで堺市の吉田さんのうちに行くのですが、硯箱、日本の素晴らしい墨絵を描いていらっしゃるのを見て、これが日本の文化、美しいところです。本当に。懐かしい日本の着物を着て踊っていただいた。今日もいらしていただいた気楽座の方々、本当に日本の文化をいつまでも続けて海外に持ってらしていただきたいのです。もう、電車に乗ってると皆さん、すごいこと、子供たちの態度、アー日本の学校では何を教えているのかと思われます。けれど「そういうことを言ったらいけないのよ。昭子ちゃん黙ってなさい。」ということで黙っているのですけど、(笑)皆さんのお行儀マナーはどうなっているんでしょうか?ちょっと言わせていただきます。とにかく、そういう事は私の感想でして、ニュージーランドはものすごく田舎で、もう人数も少ない田舎の田舎ですけど、まだまだ余裕はございますから、ぜひ皆さんいらしてください。そして、どのくらいニュージーランドの人たちが日本を愛して、日本のことを学んでいるか皆さん以上にびっくりするほど日本のことを良く知ってます。日本語を勉強して、日本の歴史、日本人のマナー、それを一生懸命に勉強して日本に来るのですけども、あまりにも驚かさないようにお願いいたします。(笑)食べるものは本当に世界中のものが食べられて、贅沢いっぱいです、皆さん。ニュージーランドはまだまだ質素な国でして、物を大事にする国ですから、とんでもございません。世界中のものが食べられる国ではありません。でも、みな健康で、心はまだまだ柔らかく助け合っているやさしい国です。お暇な方はぜひ、またいらしてください、ニュージーランドにも。それでいろいろと毎年、この57年、私ニュージーランドに来て57年余りになるのですけど、そういう経験を年々ごとにお話ししようと思って揃えてきたのですけども、それはとっても無理ですから、お話しません。でも皆さん、質問があったらおっしゃっていただいて、私にいろいろなことを教えていただきたいのです。どうぞよろしくお願いいたします。遠慮なくおっしゃってください。(呉橋:昭子さん遠慮なくいくつか・・・・)だって、お話していいのですか。あんまり言っていると日本の悪口が・・・(笑)。ちょっとそれはどうかと思いますけど、(もっと聞かせていただきたい・・という会場からの声)私はもちろん、日本が大好きです。本当に。だから、それで悪口というのではないのですけども、あのー・・ (悪口には聞こえませんよ。大丈夫ですよ。と会場から)そうですか、悪いことではないのですが、何か質問なさってくださったら嬉しいのですけども、ここにいろいろどうしょうか、どうしょうかと思って書いてきたのですけど、(会場より:私達の知らない時のこととかをもっとお話しいただきたい)そうですか。でも、質素なニュージーランドですから大変ですよ。皆さんの生活は。ニュージーランドで生活しているということは。物を大事にすることは確かです。10年、20年、ファッションなんて全然変わりません。物を大事に、そうかといって世界一周あちらこちらに旅なんかはなさいます。そういう国なのです。(間があって)それではお話しましょうか、私の思っていることを・・・(はい、お願いします。笑) モー、言ってもいいんですか?(笑)

日本の若者のマナー・大事にされて甘やかされて

マー、おっとりとしたニュージーランドの人たちの良さ、それがナンバーワンですね。ものすごく親切です。温かい心、ということは人口が少ないから、そういう風になるんじゃないかと思うのですけども、そして時代に遅れていますから、のんびりと皆さんが分るまで幸せになるまで協力してくれるというような感じなのです。ニュージーランドにはるばるといらしてイライラするのは呉橋さんでして(笑)常に走っている皆さんにはちょっとわかりにくいかもしれないけれど、親切な方々は一杯いらっしゃいます。それから、不思議なことは一杯あるのですけども、青年の船とか日本の総理府のほうから出していただいて、日本のほうを訪問する子供たちもいるのですけども、マー皆さんの教育の立派なことはニュージーランドの青年たちも驚きますけども、あまりにも、そのインターナショナルマナーっていうのは、何というのですか日本語で、国際的なマナーですか? んー、なんとはなく皆さん、ニュージーランドはものすごくおっとりしている羊の国ですから、時代遅れでして、まだまだのんびりしているのですけど、皆さんは日本の若い人たちはまだ少しわがままで、エーと、甘やかされた方が多いんじゃないでしょうか。そのホームステイでいろいろニュージーランドにも来るんですけども、おこずかいはたっぷりあります。お金の使い方も知らない。お父さん、お母さんに対しての礼儀作法も知らない。みんな悪口になったら申し訳ないのですけど、これは悪口ではなくて、アノー、本当の話なのですけども。若い子どもたち、青年ですか、日本の人たちが来て、もう少しマナーを習ってインターナショナルマナーっていうんですか、世界のことに目を向けて、礼儀は正しく、日本の美しいところをお話をするなり、もう少し謹んでいただいたほうが良いのではないかと思うのですけども、それは子供の責任じゃないと思うのです。我々上にいる指導者の責任だと思います。どうして皆さん子供たちをこれほど甘やかし、スポイルするのでしょうか。苦労が足らないって申しますか、たっぷりとお小遣いはあり、ニュージーランドの子供たちがかわいそうなほど、質素な生活をしているにもかかわらず見せびらかすようにホームステイで来る学生はですね、お金はありませんが何んとかカードというのを使い、ジャンジャカ・ジャンジャカ、その見せびらかしするんです。それで学校の先生方もびっくりしているのですけども、そういう点は子供たちに言ってもわからないと思います。我々上に立つ親が注意をして、もう少し子供に苦労させたほうがいいのではないでしょうか。それを言ったらいけないのでしょうか。子供には通じないと思いますけども、子供たちの責任ではないと思います。それは。ですから海外に送るときになるべく自分たちの国日本はトップの国だから、ここ(日本)を出たら皆さん質素な生活をしているから、みんな物を大事にして謹んで生活をしてきなさいということを皆さん方・お母さん方は言っていただきたいと思います。質素な子どもたちがいっぱいいますから、それでも粗末にしないで物を大事にして、まずいものを食べてみんな生きてますから。皆さんにお子さんがいらしたらそういうことを伝えていただいて海外に留学させてあげてください。

水を大切にするニュージーランド

昔は、雨が降れば、みんなバケツ、それから洗面器を外に出して雨の水を溜めて水を大事にすると。水道さえ通ってないという国でした、ニュージーランドは。私が1953年に来た時には。水道があるお家もないくらいなお国だったのです。今現在、この時代に短い期間によくここまで育った・発達したといつも感心するのですが、物を大事にする国民です。それで皆よく働きます。お庭にはきれいな畑も作りますけど、お花畑を作ります。ほんとうに私が行ったときは大変でした。水道の栓をひねると、どこかでカッチンという音がするのです。そうするとだれかさん水道の栓をひねったなという音が聞こえるのです。すると飛んできて、私のところへ来て、お水をなにするんですか?というような厳しい時もあったのです。それで洗濯をすれば、ゆすいだお水は捨てないとか、お水を大事にする人達です。私達は汚くてそんなことはできなかったのですが、水も大事にします。そういう国がニュージーランドだったのです。そういう国に私はポッと入って。 しかたがないから、ニュージーランド人になるにはそこの土地を耕して、自分のものは自分で作りましょうと畑もしました。お水も、洗濯の水は雑巾がけに使うと。捨てないと。そういういろんなことを勉強してきました。だんだん慣れてくるうちに畑の道具も使えるようになりました。どこに行っても日本人はいないと。大使館は私が行ってから2,3年後にできたのですけども、まだまだ戦争の話は続いて二言目にはジャップ、ジャップガールと名前も呼んでもらえませんでした。でも、だんだん月日がたつにつれて、優秀な生徒が出てきて日本語が勉強したいという子供も出てきました。また、その日本語が非常に難しいのです。漢文があり、カタカナ・ひらがな。でも、会話、やさしく教えれば一生懸命勉強してくれました。EXPOの時には若い人達も大阪に70人、100人と、子どもたちも送りました。そして、日本とのコミュニケーションも出てきて。

日本とニュージーランド交流史の再発見

さて、あの頃からドンドン日本の方が来てくださいまして、呉橋さんも何べんいらしたでしょうか。だけど日本の方が増えるということは戦争中にあったことがどんどん折り返してくるわけなのです。戦争の前のこと、戦争中のこともございました。皆さんご存じかどうか知りませんけど、ここにいいらっしゃる岡本さん、フェザーストンの事(脚注 )もございました。それから白瀬さん、白瀬中尉のお話もございます。日本との関係がドンドンドンドンあちからもこちからもニュージーランドの人たちのほうから話されて、歴史がよみがえってきて、そして、非常に忙しい思いをいたしました。私はもう、何にもそんなことは知らないで、ポコンとニュージーランドに来たのですが、こういう歴史が日本との関わりがあったのかといろんな勉強をさせていただいたのは呉橋さんです。日本のお国のためにニュージーランドの国のためになることなら何でもしようと思い始めたのはニュージーランドに着いたときからです。それでだんだんと私の名前も覚えてくれるようなニュージーランドの人たちでした。もう苦労話は限りなくあるのですが、今は大変幸せで過ごしておりますから、苦労した話は忘れましたけど、だんだんと皆さんの生活も豊かになって、フェザーストンにも立派な桜の公園もできました。それから白瀬中尉のメモリアル記念碑もできました。日本のお国はもうニュージーランドに対しては一番親しみのあるお付き合いのできるお国なのです。貿易とかそういう商売的なことはとても無理だと思いますけど、心と心が通じるお国に今現在なりつつあります。本当にうれしいことです。皆さんおひまがあったらぜひおいでになってください。もう、毎年のように日本からはいろいろなお客様がいらっしゃるんです。忙しくて。政府の方々もいらっしゃいます。でも残念ながら、ニュージーランドから日本へ訪問するのはとっても難しくて。どうぞ、皆さんどんどんニュージーランドにいらっしてください。私もニュージーランドに参りまして、57年になります。でも、今は行ったり来たりで相変わらず忙しくバタバタとしながらニュージーランドのことを話し、日本のことを話しているのですけど、あまりにも世の中の移り変わりが早くて、あの美しい日本語、一時私、妹と一緒に日本語も教えていたのですけども、私が教えるような日本語は日本に行っても通じないよっていうような時代になってしまったのです。コンピュータがあるから日本語も変えないといけないのですけど、でも皆さん、会話・目上・そういう方に対しての言葉づかい・マナー・それは忘れてはいけない日本の美しいところではないでしょうか。それがすっかり変わって、悲しいこともたびたびです。でも、私はニュージーランドの人には昔ながらの古めかしい日本語を教えています。だから、昔の美しい日本、どうぞ皆さんお忘れなく教えてあげてください。着物も、ニュージーランドの人たちがどこからか着物を買ってきて「着物の着方を教えてください」。お茶も盛んです。お花も盛んです。もちろんスポーツとしてはご存じのように空手とか柔道とかもやってます。もしかしたらニュージーランドの若い人達のほうが、日本の古い習慣・習い事を習っているんじゃないかなとも思うことしばしばです。ただびっくりすることは食べるものもすっかり変りまして、ニュージーランドに行けば日本のものがそろそろ出てきたのですけど、日本に来ても純日本の物を食べていらっしゃる方は少ないのではないでしょうか。と言ったら間違いでしょうか。それで、行ったり来たりのお話になりますけど、先日沖縄のほうから踊りの方がいらして踊りをしてくださったり。呉橋さんにいつもお願いしてますけど、気楽座の方、いつでもものすごくウエルカムですからぜひいらしてください。

ニュージーランドへ行く若者へ教えてほしいこと

それで、日本語そのものが変わりましたね。私が知っている日本語は、五十何年向こうにいるとわからないのですが、日本語の美しさがどこに消えたのでしょうかと思う事がしばしばです。アーもったいないと思いますね。だからその日本語の美しいところを外国の方々に教えてあげたいのですが、もう、日本の若い人たちは英語を勉強する外国語を習うのに必死で日本語どころの騒ぎじゃないと、それはみな教育省の責任じゃないでしょうか。上に立ってらっしゃる方の。それが一つ。それから、たとえば、小さいことですけども家庭の生活の様子がはっきりとホームステイに入ると見えるのです。日本の子供たちはこういう子供たちなのかって思われるので、なるべくお皿も洗うおかたづけもする、質問されたらはっきりと答えると、そういうことを教えてあげてほしいのです。みんなあやふやに好きな時にお菓子を食べたり、「ごちそうさま」の後はそこそこ立って、お台所に入らない、それじゃニュージーランドでは困るのです。どんどんとお台所へ入ること。無駄な時には食べないこと。朝、昼、おやつは10時と3時と決まっている。とにかく、ポケットにお菓子やなんか入れない。年がら年中辞書やら電子何んとかを使わないで、勉強の時間は何々、寝る時間は何時とそういうきちっとした生活をしてニュージーランドにいらしてください。そうしないと、ニュージーランドにもそういう悪い、そういう癖が(笑)、子供たちに付いたら大変なんです。ですから、いいことをニュージーランドの国民に教えてあげてほしいのです。とても小さい国なんです。ニュージーランドは。で、小さい国なのですけど、やっぱりあの、マオリ人という国民がおりまして、マオリの人たちは非常に日本人に近いというお話を伺いましたけど、南の寒いところには住めない人たちなのです。オークランドとかハミルトン、ワイカトの暖かいほうに住んでますから、そこをめがけてなぜか日本から留学生がくるのです。クライストチャーチやダニーデンのほうに行く生徒さんは少ないのです。そうすると、マオリの人たちと仲良くなって、マオリの踊り、マオリ語を勉強するのも結構なのですが、そこでマオリの人たちが、「オー、日本の学生はこうなのか」ということを習うわけです。ここで問題がまた起こりますから、どうぞ良い日本の学生さんをマオリの人たち、ニュージーランドの人たちに教えていただきたいのです。それはいつも考えることなのですが、だんだん今から日本のお国の中も変わってくるんじゃないですか。変わりつつあるんじゃないですか。好いほうにと私は思いたいのですが、とにかく一番悪いのはお小遣いが多すぎるということなのです。(笑、会場より:親はないのにねー)是非、半額にしてニュージーランドに留学させてください。その半額という事はカードがあるから致し方ないことだと思いますけど、たっぷりとお金があるという事をニュージーランドの子供たちに見せびらかさないでくださいとお願いしたいと思います。それから、またいっぱいお願いはあるのですけど、あまりお願いばかりしていると(笑) 
モー、ニュージーランドの人たちは、日本はいい国だって、思ってますから。そういういいところを持って、皆さん、お子さんを渡してください。ま、仕方がないことだと思います。人口が少ない国ですから、でも、人口が少ないからこそ日本の方々がいらっしゃると目立つのです。それで、マオリ人がなぜか日本が好きで、いろいろ歴史があるのだろうと思うのですけど、すぐ親しくなって、今現在使っている日本語をマオリの人たちに教えるのです。それで、マオリの人が日本語で私に話しかけてくると、私はびっくりするのです。(笑)これが日本語か。でも、時代に乗ってそういう風に変わらないといけないことなのでしょうか、日本のお国は。どんどん変わっていってよろしいのですか?日本語の美しさが。(会場より:昭子さんが驚かれた言葉はどのような言葉でしょう?)半分英語のようなカタカナのようなローマ字のような書き方、だから(造語ですか)、意味が通じません。日本の若い人たちに聞いてもそれは日本語で説明できないような言葉なのです。そういう言葉がはやっているのは、コンピュータのおかげでしょうか。(さーね。若い人は新しい言葉を携帯などでつくるのですよね。)なんのために? とにかく、時間が世界中どこに行っても24時間しかないわけですね。どうして皆さんそんなに急がれるのですか?って言いたいですね。それは人口密度とかがあるでしょうけど、それじゃなくて、個人の生活をしているなかでも、どうして皆さん一日という時間をエンジョイして生活なさらないのですか。エンジョイの仕方というのは、映画を見ました、音楽だ、ダンスだというんじゃないのです。そうではなく、だいたい起きるのは7時、学校へ行くのは3時で終わりだと。家庭と一緒に生活して娯楽があるとか寝る時間は8時間とそういう時間割を作って、どうして生活ができないのかなーと思うのはニュージーランドではニュージーランドボケと皆さんおっしゃるのかもしれませんが、そういう生活ができる国なのです。別に急ぎません。それでお仕事もピタッと5時半になったら電気が消えます。残業はまだ、大使館は年がら年中電気をつけておりますが、5時になったら皆さんピタッと帰るのです。お仕事は9時からですから、たとえ9時5分前についても、5分間でも自分の机で新聞を堂々と読むのです。仕事はしません。9時になったら仕事をします。だから、みんな世界に追い付いて行けない国かもわかりません、ニュージーランドは。それでも別にっていう事で生活しているです。とくに、このジョン・キー(首相)は、明るい方で、子供たちを大事にして、明るく、スポーツを楽しみ、元気であればいいっていうようなモットーで生きてゆく人です。だから、そうですね、あんまり言わない。皆さん、宿題が多いとか試験が多いとか、お気の毒です。学校を卒業しなくても総理大臣になれるのです。実力があれば。ニュージーランドの歴史を調べると、何人大学を卒業してらっしゃらない方がいるでしょうね、呉橋さん。そこいらへんの人でも誰でも首相になれるのです。実力があれば。それから女性も首相になろうと思ってなった方もいらっしゃいます。どうして、みんなこんなに勉強しないといけないのでしょうか。日本は。頭を優秀にするためですか?勉強、勉強、勉強、大変ですね、皆さん。ゆっくり休む余裕はあるのでしょうか? ありません。そういう風にしていないと生きてゆかれないお国ですか?(会場から:あのー、悪循環です)でも、やっぱりきれいな日本ですから。私も日本を愛します。空から見て「アー、きれいだな」と思ったのですけども、もったいないお国です。本当にもったいないお国です。電気がキンキラ夜中もついてます。どこのトイレへ行ってもお水はジャンジャン出ます。モー本当にきれいなお国です。だけど、ちょっぴり無駄もしているのじゃないでしょうか。もったいないと私は常に思いながら歩いています。そんなこと言ったらいけないのですか?(昭子さんは水を流しっぱなしにしてすすいだりしません?)もったいないですねー。ほんとに。本当にもったいないの言い通しです。私はもったいないからいらないものをニュージーランドへ持って帰るのですけど、もったいないと言い通しです。でもそれは物が多すぎるからですか?皆さんジャンジャン使ってらっしゃるのですか?(会場より:ニュージーランドはうちはうちという考え方を強く持ってますか?私の家庭もどちらかというとうちはうちだったのですよ。だけれども、それだけではもう通用しなくなってきているという状態なのです。やっぱり周りに左右される。)なぜですか?(それは弱いのですよね。)どういう意味かわからないのですが。(私は東北出身なので、東北ももったいない、地味な育ち方しているから、子供にもそういう事をしてきた。うちはうち、よそ様はよそ様。だけどそれが堪え切れなくなってきているというのが日本の現状なのです。もっと親が強くならないといけないとわかっているのですけど、)それは戦争中に私達の、年頃の方々は戦争でいろいろ苦労なさったから、子供を大事にかわいいかわいいで育てましょうじゃないのですか?(そうではないのです)苦労したほうが立派な人間ができると聞きますけど。(そう思ってしているのですけど、うちだけはと子供のほうから訴えられると、なんか・・・)私は、飛行機の中でエアニュージーランドだったのですが、いろいろごちそうが出てきます。雑誌や新聞もいろいろありますけど、一般に皆さんのっているお客さんを見ますと、皆さんを含めてですけど、まず第一に着るもの、身につけていらっしゃるものが立派、ボロを着ている人一人もいない。おいしいものが出ても残す人は一杯いる。もったいないもったいないとそこから始まるのです、私飛行機に乗ってから。ニュージーランドの人に分けてあげたいな。とか言って、ニュージーランドの人は貧しいのではないのです。物を大事にするということで、捨てるなら食べるよとか、持って帰ろうとか、そういう人たちなんです。それで、皆さんも物を大事にしたほうがいい・・(笑)。だけど、物を大事にしなくていい国なんですね、日本は。早く言えば。もう、そんなことはどうでもいいと。だから、ほんとにこんな幸せな国はないですね。(会場より:日本は消費は美徳という言葉があったりする)それで、お国は築き上げることができるのですか、そんな無駄なことをしてても。くるくる回ってゆくという事ですか。(どんどん売って経済を活性化するため)それはもちろんそうしなければ商売しませんね。だけど、ある程度がございませんか。それは人口が違うからですね。
(会場より:昭子さんはニュージーランドのパスポートですか)私が行ったときはパスポートなどない時代だったのです。仕方がないから紙の一枚ペラペラで行ったのです。それから2,3年たってからですね。自然に国際何とかというものを作らないといけないということで、ニュージーランドに住むのだったら永住権というのですか、住むのだったらニュージーランドのパスポートとそういう風になっちゃったんです。(昭子さんはニュージーランドの・・)そうです。私はニュージーランド人です。あの、パスポートは。だから、ニュージーランドの良いとこばかり言ってるんじゃないのです。日本の悪口は言いません。ニュージーランドの悪口ももちろん言いませんけども、マー、本当に幸せなお国です。とってもいい国です。私の故郷ですから。でも、皆さん無駄をします。贅沢です。それを私は言いたいと思います。本当にこんな幸せなお国はないです。皆さん自覚してらっしゃるでしょうね。こんないい国はないと。もったいないと。だけどやっぱり無駄をなさいますか?

深まる中国との関係

(会場より:日本はニュージーランドと第2位の貿易国でしたが、最近、中国に追い抜かれて、留学生の数でも日本は中国の1/3くらいですね。圧倒的に中国の影響力がニュージーランドで大きくなってきてますが、ニュージーランドの方は中国にどのようなイメージを持って接しているでしょう) 
いままでワッショイワッショイ日本人が来てくださったのが今はみんな中国です。産業的に考えてもドンドン中国のほうに動いているのです。さてどうしましょう。頑張ってください、日本は。と言いたいのですけど。
(中国の人たちとニュージーランド人との関係はどうなんでしょうか)
若い人たちは無視して仲よくしてますが、100年、200年くらい前は大変でした。中国人を奴隷のように使い、中国人は大変な思いをした。そのことですか?
(いえ、日本人とニュージーランド人は割と何となく仲がいいですよね。お互いに良いメージをもって付き合っている。ニュージーランドの方たちと中国の方たちは今、どんなふうですか?)
いたしかたないからEXPOとかありますから、ワッショイワッショイへ行ってますね、上海へ。だから仲が良いのでしょうかね。普通はどうでしょう。マー、日本人のほうが好きでしょうね。そう言ったら怒られるかもしれないのですけど、とにかく、中国の方は働き者なのです。八百屋さんが多いとか、昔々、お爺さん、ひいおじいさん達のむごい目に会った気持ちがまだそこにあるのじゃないのですか。だと思います私は。でも、多いですね、中国人は。それで、マオリ人とあまり仲好くないのですね。むしろ日本人のほうがマオリ人は大好きです。それはなぜなんでしょうか。踊りが好きで、(笑)歌ったり踊ったりするからだと思うのですけど、マオリ人にジャパニーズって言ったらにっこり笑いますよ、みんな。そういうことも考えると、地球が狭くなったので、皆さん出入りするからマオリ人も一杯日本に来てますね、もちろん。でも中国へ行く人はいません。あれはなぜ行かないのでしょうね、中国には。
(松元:私はワイカト大学の日本事務所にいるのですが、先ほどのホームステイでいろいろお聞きしましたけど、実はワイカト大学に高校から60,70,80名といってもいつでもホームステイ先は探すことができる。ところが今話題になっている国々の中には100人くらい行かれても10人とか20人くらいしかホームステイできない。というのはホームステイをさせるほう、ニュージーランドの人も一緒に生活するので楽しくないといけない。ところが、そういう国の人は、ニュージーランドのホームステイをさせる側が楽しくないと言って、一度ホームステイすると、次からは断られる。実は先ほど昭子さんが言われたことはすべてそうだそうだと聞いていました。たとえば、お金の件では、日本でオリエンテーションするとき、とくに向こうの家族の人にお金を見せるな、自分の持っているお金を見せてはいけないと注意しています。日本で、高校生が1万円、2万円を持っているのはごく当たり前ですから、その違いが分らないのです。向こうは20jポケットに入れていたらそれでお金持ちの感じですよね。その辺が違うとこですね。ほんとうに、僕はお話を聞いていて、原点をお話しされているなと感じました。それと、ほかにワイカト大学関連で向こうに住んでいる日本人の方がいます。みんなきれいな日本語を話せるのですね。僕たち連れてゆく学生の日本語は少し違うんです。だからこの前冗談を言ったのですけど、ニュージーランドへ日本語を学びに行こうと(笑)。それくらい、皆さんきれいな日本語をお使いになる。)
とにかく、ニュージーランドは良いお国です。小さくて10年、20年遅れてますが、時代に。でもそれで良いのです。みんなのんびりと、楽しく住んでますね。そうお思いになりません?呉橋さん。(呉橋:はい) 健康であれば皆さん、幸せですね。
(呉橋:先日、ニュージーランド関係の方たちが集まり、日本人とニュージーランド人はわりと心が通じ合え、好意を持ちあっているのかなという話になって、多分、アメリカ人と仲良くしている人もいるだろうし、いろんな国の方と仲良くしているけど、特に日本人とニュージーランド人というのはうまくいっているのですね。これはなぜかっという話をいろいろしている中で、それは私達の先輩が偉かったのだと。ニュージーランド協会の創立者の川瀬さんが最初の日本人の留学生でしたけど、立派な人物で、日本人に対する好意が生まれる一つの要因であったと思うのです。あと、歴史の上でも非常に日本の海軍の方たち、ニュージーランドで非常に立派な振る舞いをしています。昭子さんは日本人として、戦後初めて向こうへ永住して、頑張ってこられましたけど、やはり、昭子さんは人格が素晴らしくて、そういう人を見てニュージーランド人が日本人に対するイメージを作るわけです。だから、私達は外国へ行くとき、昔の言葉で国威の発揚というのがございますけど、やはり、日本を代表してゆくのだという、今後のこの国と日本の将来は私達の行動にかかっているのだというくらいの気持ちを持って行動する必要があると思います。中国人とニュージーランド人、これからどんどんうまくやってゆかなくちゃいけないのですが、今、日本人とニュージーランド人のような関係にはないのです。なぜかというと、先輩が悪かったというか、それはとても気の毒なのです。最初は鉱山の奴隷として使われたわけですから。そういう過去から始まったので非常に不幸な出合い方をしている。それが今、中国人とニュージーランド人がもうひとつうまくゆかない理由です。私達日本人は幸せなことにとても良い出会いから始まってます。だからこの関係は本当に大切にしなくちゃいけないと思います。
引き続き懇親会に入りますけども、昭子さんと八千代さんには小さなプレゼントがございます。大田家は11人兄弟という事で、八千代さんが末っ子だそうです。(8番目です。)エー、失礼しました。これは40周年記念Tシャツです。新地欒土は川瀬先生が作った造語で新しい土地で人々が仲良く楽しく暮らしているよということを表わしていてニュージーランドと呼びます。)   ありがとうございました。


気楽座(日本のお座敷芸かっぽれを2009年10月にウエリントンで公演)の皆様もご参加いただき、楽しい講演会と懇親会になりました。


昭子さんを囲んでたくさんの写真を撮りましたが、その中の1枚です。